2014年6月28日土曜日

シリアルナンバー付の零戦の破片が、真珠湾攻撃記念館に寄付される

AP通信が次のような興味深い記事を配信していました。
------------------------------------------------------------
1941年の真珠湾攻撃で対空砲火より被弾、自爆した零戦の機体の一部が、オークションにかけられ、それを落札した男性が、ハワイ・オアフ島の「アリゾナ記念館」に寄付した。

この機体の破片には「5289」というシリアルナンバーが刻まれている。

この零戦は、ヤシの木に突っ込んだ後、カメハメハ要塞の兵器庫の入り口にいた砲兵のグループに衝突したという。その結果、砲兵4人と零戦の搭乗員が死亡した。

この破片は長い間封筒に入れられて保管されていたが、今年3月にeBayでオークションにかけられ、ホノルルの弁護士デイモン・セナハさんが1万2225ドルで落札、23日に「アリゾナ記念館」に寄付した。

情報ソース
http://news.yahoo.com/zero-fighter-part-back-hawaii-73-years-later-205738256.html;_ylt=AwrSyCQXGK5TRikA7VLQtDMD
------------------------------------------------------------
……というのが記事の概要です。この記事を読んで私はこの零戦の搭乗員は誰だったのか、と気になり、ちょっと調べてみました。

零戦に関しては現在ではかなり詳細なことまで判明しており、ウェブで調べることができます。




デヴィッド・アイケン氏によると、シリアルナンバー「5289」の零戦は固有機体番号が「AI-154」、1941年8月9日に製造された21型。そしてAI-154は、空母「赤城」の第1次攻撃隊の第2制空隊第1小隊2番機、平野崟(たかし)一飛曹が搭乗していたことが判明しています。

平野一飛曹は第一次攻撃に参加した赤城の零戦隊の唯一の未帰還機。制空隊総指揮官の板谷茂少佐の2番機で、対空砲火に被弾、自爆したことが確認されていて、APの記事の記述ともほぼ一致しているので、搭乗していたのは平野一飛曹でまず間違いないでしょう。

総指揮官の用心棒とでもいうべき2番機を任されていたのですから、平野一飛曹は極めて優秀な戦闘機パイロットだったにちがいありません。開戦初日に対空砲火に被弾して自爆せざるを得なかったのはさぞ無念だったことでしょう。

73年前、自爆して戦死した平野一飛曹、そしてこの記事で初めて知った地上で自爆に巻き込まれて亡くなった4人の米軍砲兵の方々……いろんな思いがわいてくる記事でした。


参考にしたサイト
http://japanese-aviation.forumeiros.com/t37-25-pearl-harbor-raid-akagi-s-fighters
http://www.geocities.jp/hikoki100/ro03-2.htm
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/pdb07.html

0 件のコメント:

コメントを投稿